海を走る氷の馬

この世の楽しそうなこと全て体験しないと気が済まない

3月9日

テレビからレミオロメンの3月9日が流れてきてハッとした。一年前の今日は胚移植をした日だ!

私達の不妊治療は体外受精(顕微授精)で、卵子を体外に取り出して受精・培養して凍結し、子宮の状態が良くなったら解凍して移植するというもの。去年の夏に採卵したものの、1回目の移植失敗の後に卵巣嚢腫で入院したから、採卵してから7ヶ月が経っていた。手術後の初めての移植だったし、私も夫もまさか妊娠するとは思ってもみなかった。それにしても1年前まで冷凍されていた細胞が今日はワンワン泣く赤ちゃんになっているなんて不思議すぎませんか?不思議だ。

くりかえし不妊治療の話をブログなりTwitterに載せてきたのは、振り返ってみると誰かに認めて欲しかったからだと思う。医学の進歩で今までなら助からなかった命が生き永らえるなら、今までなら生まれるはずのない命が生まれてきてもいいはずだ。そう思いながら不妊治療を行ってきたけど、やはり体外受精ともなると神の領域に足を踏み入れている気がして、僅かな後ろめたさのようなものがどこか消えないでいた。やりたくてやっていることなのに自信がない、本当にやっていいことなのか分からない。そんな思いを見ないようにしながら当然のように不妊を公言することで、後ろめたく思ってることを悟られないようにしたかった。不妊治療って別に隠すことじゃないって思って欲しかった。平気な顔で振る舞うことが何より自分への励ましだったから。

 

「友達に不妊治療していることを打ち明けられてなんと言ったらいいか分かりませんでした」という相談のDMをもらったことがある。その答えはきっと、ただ認めてあげればいいんだと思う。「普通」に妊娠できない自分への落胆、高度治療への不安、お金の算段、通院と仕事の両立、たくさんの悩みがあふれた結果受け止めてくれそうな友達に話した、ということだと思うので。ただ聞いてくれるだけでいい。「不妊治療やめたら妊娠したって話聞くよね」みたいなことだけはどうか言わないで。それだけは傷付くから。そういう例が世にたくさんあるのは知っているけど、外科的処置をしている身としては、不妊治療をやめるイコール赤ちゃんを諦めるということだったから、実際友達にこう言われた時は言葉に詰まってしまった。もちろん体外受精までステップアップして何回もやって諦めてから自然妊娠する人だっているということも知っている。知っているけど、けどっていう話。

 

赤ちゃんを愛おしく思う感情はベースにありながら、「子供を産み育てるなんてとんでもないことをしてしまったな」という思いも日夜去来する。この子にもしものことがあったらどうしようと夢にも見る。「誰が産んでくれって頼んだよ」なんて言われる日も来るのかな。お母さんはあなたに会いたくて、頼んで頼んでやっとうちに来てもらったんだよ。愉快に暮らそうね。

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赤ちゃんが寝てる間にアイス食べた